インターネットは巨大な図書館
ウェブサイトは、よく「家」に例えられるけど、なんか違和感ある。最後の皮肉が気に入った。ちなみにwebmasterは基本的に皮肉が好きだ。
きっと、Homepageって単語がそのすべての元凶なんじゃないかと思う。
このhomeは「家」じゃなくて「起点」だってみんな知ってるのに、なんでみんなウェブサイトを家に例えたがるんだろう?
で、家に変わる解釈を考えてみた。インターネットは、巨大な図書館である。
これでどうだ。
- その図書館はいつでも誰でも利用することが出来る。
- しかし閲覧者は望まない限り常に1人である。
- その図書館には自治権がある。
- その図書館はいくつもの小さな部屋に分かれ、それぞれの部屋に管理人がいる。
- その図書館は、地方自治体や国家が所有しているわけではない。
- その図書館は、それぞれの小さな部屋の管理人たちの力によって運営されている。
- その図書館では、誰もが本棚を寄贈し、自分の出版した、ありとあらゆるジャンルの本を置くことが出来る。ただし管理人の許可が得られれば。
- その図書館では、誰もが部屋を増設することが出来る。
インターネット全体を図書館に、サーバを部屋に、ファイルを本などに例えればあっという間に問題は解決。
おっと、BBSはゲーセンとかラブホテルとかにある妙なノートに例えなきゃならないね。これで「俺の本で紹介させてください」はまだしも、「あなたの本が気に入ったから僕のノートにメモっていいですか」とか「引用したい文があるので許可を頂きたい」とか、そんな気違いじみたことをしなくてすむ。
たしかにこの解釈が浸透すればwebにまつわる数々の議論が収束に向かうように思えるので、なかなか的を得ていると思う。しかし、何か決定的な見落としがあるような気がしてならない。...とは言ってみたものの、「気がしてならない」という締めは巧みな思考停止と逃げではなかろうか。
「気がしてならない」を書いておけば、決定的な反論を見つけたときに「やっぱり見落としがあった」と返せるし、今回の「決定的な見落とし」が永久的にわからなくても(分かろうとせずとも)「まだわからない」と思える。2択が可能な実に便利な言葉だ。
って、何の話だ。